2017-05-09
こんにちは。
昨年6月に新装版(第3刷)として発刊した言霊百神。
後に続く言霊精義、言霊開眼との言霊学シリーズの中の
バイブル的存在として、みなさまにも親しまれています。
出版社にいる私がこんなことを言うのはいかがなものか、
とお叱りを受けそうですが…
この言霊百神(以下「百神」とさせていただきます)。
大事に大事に懐で温めてはいたものの、なかなか頭の方
にまでは到達しておりませんでした。
読もうとするのですが、頭になかなか入ってこない。
読んでいると、なにか、とっても「かたい」という
感覚があったのです。
それは鉄で出来た、両手でやっと抱えられるほどの大きさの、
正方形のかたくて重い物体、のような。
イメージしても、それが頭に入るとは到底思えないのですが、
そのようにしか受け取れなかったのです。
それが!
ある時から、変わったのです。
気づいたら変わっていたので、いつなにがどう変化した
のかを表現するのはとても難しいのですが、
きっかけは、百神の著者である小笠原孝次先生の
別の書物を読んだことでした。
その内容について、私はとても興味があったので、いつか
読みたいなぁ、と思っていたのです。
ある時それを読み始めることになり、一心不乱に、とまでは
いきませんが、「知りたい!」という私の欲求が大きかったので、
「これはどういうことなんだろう?あれは何なんだろう?」
という興味のままに、読み進めていきました。
その本には、所々に、
「言霊百神の原理を理解することが必須である」
という言葉が出てくるのです。
「やっぱり百神かぁ~…(-_-;)」
とは頭で思いながらも、百神まではなかなか手が
伸びなかったのです。
けれども読み進めるうちに、知りたいことがより多く、
より深くなってきて、いつの間にか私の欲求が百神に
向いたのです。
そうして百神を読み始めると、まるで同じ書物を
読んでいるとは思えないほど、ずっと興味がわいた
ままに読み進めていました。
あの頃抱いた堅物はもうおらず、そこに書かれている
文字たちと、スッと同調しているような、
一緒にスキップをしているような、そんな感覚で
いられるのです。
それはまるで、文字を読んでいるというよりは、
音楽を聴いているような、自然と自分の中に入ってくる、
そのような感覚なのです。
そんな話をスタッフとしていたら、
「やっぱり左脳じゃなくて、右脳で読むんだよね~。」
と言ったのです。
一瞬「えっ?!」と思いましたが、言わんとすることは、
自分のその体験からも納得するところでした。
言霊百神。面白いです。