2017-05-12

みなさん、こんにちは。

昨日、和器のお仕事のことを少し書かせていただきました。
今日はその中の一つ「書き起こし」についてお話させていただきます。

「書き起こし」という言葉を、聞かれたことはありますか?
よく「テープ起こし」というのは聞きますね。

Nさん、思い出の書。

テープ起こしが、録音されたものを文字データに起こすことのように、
書き起こしは、文字としてあるものを文字データに起こします。

「文字を打ち込むだけでしょ?簡単そうじゃない。」
と思われたアナタ!いえ、ワタシです。

文字を打ち込むだけなら、簡単なのです。
なのですが、そう一筋縄ではいかないのが、この文字起こしなのです。

弊社設立後、一番最初に出版した「言霊学事始」は全687ページ、
年初に発刊した「神道から観たヘブライ研究三部書」は582ページあります。
その全てを、データ文字として起こすのです。

それだけでも膨大な量なのですが、それに輪をかけて書き起こしを
難航させる、様々な関門が待ち受けています。

和器には、その大変な労を要する書き起こしを専門になさる
精鋭部隊がおります。

そのメンバーのお一人が、今回書き起こしの「秘話」をまとめてくださいました。

様々な思い、想像もできなかった難所、苦悩の先にこそある達成感、
などなど臨場感あふれる内容です。

ご紹介させていただきます。どうぞ、ご覧ください。

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小笠原先生が残された原稿の書き起こし手の募集案内があったとき、
「これは自分の役割だ」と素直に思い、迷わず申し込みました。

希望者が殺到すると思い、サンプルの書き起こしを送るまで
したのですが、蓋を開けてみると10名程と拍子抜けでしたが、
全員が採用されて、めでたくスタートしました。

しかしその船出は、のっけから嵐の連続でした。サンプルを書き
起こした時には気付かなかったのですが、小笠原先生は仮名の
使い方が旧の使い方であるだけでなく、漢字も旧漢字を使用されて
おられ、しかもそれらが草書体で書かれており、加えてお身体の
お加減の具合により崩れたり略字で書かれたりするため、旧漢字に
も草書体にも馴染みのない身としては文字通り一字一字を解読して
いく作業となりました。

中には、それが平仮名なのか漢字なのかすらわからない字や、どこ
からどこまでが一文字なのかわからない文字も登場し、我々の行く
手を阻みました。

むろん、前後からの類推でどうにか読める部分も多々あるのですが、
小笠原先生独特の言い回しもあって、読めるけれど合っているのか
自信が持てないということもあり、終始五里霧中の中を進んでいる
気持ちでした。

(徐々に慣れて後からわかったのは、所々、小笠原先生が書き損じを
されている箇所(漢字の書き間違いなど)もあり、それが我々の
混乱をより一層深くしていた、ということもありました)

そんな中で支えになったのは同じく書き起こしに苦戦している仲間
でした。IさんがFacebookでいち早くグループを作成してくださり、
そこにお互いが読めずに困っている箇所を投稿し、智慧を出し合い
ました。

3人どころか10人寄ってたかっても小笠原先生の知識、お考えには
足元にも及びませんでしたが、書道で草書体を学ばれているHさん、
中国の字体に詳しいYさんを中心にあーでもないこーでもないと
アイデアを出し合いました。

これはもう絶対に読めない、と思っている箇所でも、大概はみんなで
考えるとどうにかなるもので、不思議な経験でした。

「自分の担当箇所にもその漢字が出て来ました!文脈はこうです。」
「その漢字の編と似た漢字が自分のパートに在ってこう読みました」
「この崩し方はこっちとは少し違うから・・・」

などなどの情報が集り、最終的に意味が通る解釈が出来た時の
達成感は格別でした。

また、自分だけでも当然色々な角度で考えるのですが、一週間
経っても分からなかったものが十日目にふと「あっ!」と気付く
こともあり、そういうときは一段成長した気がしました。

横文字が登場したので英和辞典で検索をかけたところ全く引っかか
らず悩んでいたら、ドイツ語だと教えてもらったと言う事もありま
したし、仏典はもとより聖書からの引用も多く、小笠原先生の博識
振りにただ圧倒されるばかりでした。

そういった引用が出て来ると原典をインターネットで確認しながら
進めるのですが、サイトによって原典の漢字が違っており、
どれが正しいのか更に混乱するといったこともありました。

改めて振り返ってみると、それほど多くはない分量の文章に相当な
時間とエネルギー(時間もエネルギーですが)を注ぎ込むという
贅沢な読み方をさせてもらいました。

我々は言葉の大事さを学びつつも、同じ日本語として日ごろ接する
言葉を安易に流してしまいがちです。知っている、と思ってしまう
とその傾向はより顕著になるでしょう。

小笠原先生の原稿は、そんな我々に言葉一つ一つに真正面から取り
組むよう諭してくださったようにも思います。

原稿は電子データ(か若しくはそれを自分でプリントアウトした
紙原稿)なのですが、見る時は一度背筋を正してから接しないと
簡単に弾かれてしまう、そんな雰囲気がありました。これはOさんも
仰っていたのであながち間違いではないと思います。

また、中々進まない書き起こしですが、どういうわけか、ふとゾーン
とでもいうべき集中力で非常に筆(指?)が進む瞬間というものも
ありました。

小笠原先生が山腰先生の講演録を書き起こす際に神が加勢してくれ
て筆が驚異的に進んだことがあったとどこかに書かれていましたが、
我々にもそういったご加勢、あるいはひょっとすると小笠原先生ご自身が、
(見るに見かねて)ご加勢くださっていたのかもしれません。

いずれにしましても、作成側として携わりつつも、我々が第一の
読者で誰よりもじっくりと味わせてもらったという感じでもあり
大きな幸運であったと思います。

まだまだ眠っている作品もあると伺っていますので、
これからも努力してまいります。

(書き起こしメンバー N)