2017-05-23

本になる前の、ポカリと浮かぶ、とどのつまり

今朝、いつものように息子の手を引き、出勤途中の人でごった返す駅ビルのコンコースを通り抜けながら、ふと夢想した。ここにいる人々が皆家族だったらどうだろう。慌ただしい出勤風景でありながら、そこには「行ってらっしゃい」「行ってきます」の言葉が飛び交うのだろうか?息子は一人で自立して学校に通えないので、毎日、通勤の途中でスクールバスの乗り場まで送っていくのだが、もし、ここにいる人々皆が家族なら、連携プレーのように、道すがら家族の誰かが見ていて、私が送っていかなくても、何の支障もなく彼は学校に到着するのだろうか。頭の中ではそんなことを、とぎれとぎれに夢想していて、オートマチック化した体はといえば、必要に迫られ小走りになっている。急ぎ足で突進してくる人の波に呑まれる。響く構内放送を聞くとはなしに聞いている。その後の満員電車の中でも、つらつらとさらにその夢想は広がり、世界が本当にワン・ワールド、地球人類皆兄弟に万が一なったら?(さて、実際はなるわけがない世界の現状については、情報誌vol.10和器なる書評で紹介予定の馬渕睦夫氏の著作を読んでいただきたい。)

そんなときになったら、私たちは意念言語を使えているのだろうか?世界の言語はどうなっているんだろう?今でも、昨今の翻訳ソフトは著しく向上している。多言語脳を手に入れなくとも、英語を使いこなせる技は特殊能力ではなくなって、いかに話すかで手をこまねいていた日本人は、何を話すか、何を伝えるかに移行しつつある。テレパシー能力が当たり前になり、覗かれるココロの裡すらなくなるんだろうか?一足飛びに想像は広がるが、現実とそこまでの距離を埋める道筋は、残念ながら想像できない。そんなとき、目に飛び込んできたのは、目の前で看護総論というテキストを開いている女子である。彼女の肩越しに「世界の健康問題について」という見出しが飛び込んできた。どこかで見たタイトルだ。それは今、私の机の上にある石原克己先生のある雑誌に寄稿された原稿で、(近い将来石原先生の本も出版予定です。)「あ。同じテーマだ。」思わず、目の前のテキストを盗み読みしてしまった。(ごめんなさい)世界の伝染病の現状や医療が世界に行き渡っていないことについてWHOの情報を元に論じている。同じタイトルなのに、こうも違うとは。介護学校で教える健康問題といえば、こうなる。こうなってしまうよね。それは言わずもがなグローバリズムを推し進め、どこまでも巨富と権力を求める世界金融資本の思う壷なわけであるが…。

って思ってたら、もう市ヶ谷駅だ。

さて、何かの使命に没頭する瞬間を量子力学的に解釈すると、多分病気も寄り付かない周波数領域なんだろうな、というわけで、天津金木と天津清麻の統合を文字に乗せて出版するのが和器出版としての渇仰する使命なのだなとしみじみ思いながら、痛いくらい照りつけるお天道様の光を浴びながら事務所に向かう足を早めた。