先週の土曜日のこと。
部屋の掃除をしながら、ついていたテレビを見るとはなしに見ていた。
流れていたのは「食彩の王国」という番組だ。
サウスダウン種という抜群に旨い羊肉があるらしい。
非常に風味豊かで柔らかく、その旨味は群を抜いているという。
羊飼いの石田氏は、大学の時にその羊の肉を一口食べて、人生が一変したというのだ。

「こんな香り高い旨い肉があったのか!」

それこそサウスダウンの羊の、髄の髄まで惚れこんで、
北海道足寄に移住し牧場を構えたそう・・・。

「抜群に美味しい」羊を作る!
ただそれだけの、そのすこぶる純粋、単純明快な姿が映像で流れてきた。
なんだか、素直に感動した。

ただそれだけの理由で、毎日を営み過ごしている、その姿に、
掃除の手を止め、いつのまにか見入ってしまった。
ちょっと幸せな気分になった。

羊たちと諸共に生きている石田夫妻に、画面を通じて見てるこちらまで、
とても元気になったのだ。今を生きる「生の実感」がそこにはあった。

それは、そこにサウスダウンの羊が存在し、それに呼応した石田氏がいて、
修理固成ませる姿だった。

生きている羊を飼って、食べるため、売るためにいつかは殺すわけだ。
勢いよくミルクを吞む仔羊はとても愛らしく、活き活きとした活力が溢れんばかりだ。
広い緑の牧羊地の草を喰む羊の群れは、まさしく生命の息吹そのものだ。

その命の、その息の根を止め、肉を食べる、
そんな殺生を一体誰ができるんだ?
現代の都市部に住む私たちは矛盾だらけの自分を棚に置いて、
惨たらしいことのように思ってしまうけれど。

生き物を殺して、他の生き物がそれを食べる、
そのときの化学変化には、やはり紛れもなく神が仲立ちしているように思う。
そう思う私は偽善者だろうか。

「ハッと驚くほど、美味い」
「美味い生命にビックリして振るえる」
それは、羊に対する尊敬の念、そのものである。

こんなに美味しい羊が地球上にいて、その存在に素直に感動した羊飼いがいて、
美味さを伝えたい一心で出荷された肉があって、
その美味さに同じように惚れ込んだ全国のシェフがいて、
その美味さを最大限に引き出した料理が振る舞われ、
料理を一口頬張ったその瞬間の、その味覚の広がりに「美味い!」と
舌鼓を打つ人々がいて・・・。

最初の羊飼いの感動は、最後に対価を払う人々にまで、突き抜けて伝わっているのだ。
途切れなく連鎖している。

そこに神のハタラキを見ないわけにはいかない。
美味しいものを食べることで、その美味しさの感動で打ち震えて、
人々は素直に癒されてしまうのだ。

「美味しいね!」その言葉を言うときの嬉しさは、誰もが何度も経験したことだろう。
その連鎖、そのものが神のハタラキであり、
それは、人間の技と神のコラボレーションである。

神を活かすも殺すも人間なのだ。
人が神を噛み噛み呑んでいる。

「神と人のコラボレーション」
その根柢に流れる感覚は、「ハタラキへのリスペクト」なのである。

そして、さらに想いは連なり。。。
この度、弊社から刊行予定の「甲斐犬の神髄、ここにあり。」
ここにハタと帰結した。
当たり前の一致のように、である。
そういえばである。
本書の著者の雨宮精二氏の気持ちも「甲斐犬へのただならぬリスペクト」なのである。
それに神が呼応する、それは気配として分かる。

「犬飼い」雨宮氏とぶち毛の甲斐犬の間柄は、まさしく、この感覚なのだ。

 

↓石田めん羊牧場

http://www.ishida-sheep-farm.com