その姿は、まるでおもわせぶりな「かわいい小悪魔」のよう。

肌質はしっとり、ハリツヤがあり、ほどよいやわらかさを思わせる。
雪のような色白だったり、こんがりとした小麦色だったり。

かと思うとまったく違う予想もしない肌艶を見せることもあり、
そんな時には少しばかりドキッとした胸の内を隠せない。

sweetな時間を過ごしたいときには、それはもうたまらない。

 

その名は

 

 

 

Manjyu

 

 

 

え?よくわからない?
ではもう一度。

 

 

 

まんじゅう

 

 

 

そう。おまんじゅうです。

 

「あれは小麦色とはいわないでしょう」
と息子にツッコミをいれられましたが、そこはご愛敬、ご容赦を。

 

ということで今回は、まんじゅう対決!

といっても、結論から申し上げますと
両者引き分け、同着一位、甲乙つけがたし、
という逸品のご紹介です。

「こしあん」がお好みのお客様のご相伴にあずかり、
こしあんまんじゅう二種類をいただきました。

 

まずはこちら。

 

1867年、あの「大政奉還」が行われた慶応三年に創業の、
山田屋さんの「まんじゅう」。

このようなおまんじゅうを見るのは初めて。
私が知っているおまんじゅうは、白か茶色。
たまに揚げているのもあるけれど、はやり茶色。

が、これは、うすむらさき色。
しかも、皮らしい皮が見当たらない。

なによりこの、一口サイズ。
一口といっても、お上品なお口の一口サイズ。
私の口のサイズではない。

上品。なんて上品。私の口に合うだろうか?
皮は?皮の存在を発見できるだろうか?

不安とワクワクが入り混じりながら、いざ実食。

 

なんとも、期待を裏切らない上品さ。
きめ細やかな舌触りは、こしあんというより
“さらし”あんのよう。

この小さな一粒で満足できる感があるのは、
その細かさがより集まってつくられたゆえの
密度の濃さかもしれない。
比較的水分は少なめに感じたが、サラサラなので
のどにつまる感覚もない。

雑味のない上品な甘さは、
「今では本当に手間のかかる昔ながらの秘伝の製法」
山田屋さん公式HPより)
ゆえ、なのだろうか。

たった22gというこの一粒。
うすむらさきに、あわくやさしく輝くその姿には、
150年一子相伝で受け継がれてきた特別な製法を
今もなお守り続けている、その連綿とした想いが
込められていると容易に想像できるような、
凛とした強さがあった。

銀座では松屋さんで購入できる。
東京というより関東、というよりも本店のある愛媛県以外の
都道府県に唯一存在する、茶房もある直営店が恵比寿に。

 

もう一つの逸品はこちら。

 

こちらも同じく江戸期、「大塩平八郎の乱」の起こった
天保八年(1837年)創業の大手饅頭伊部屋さんの
「大手まんぢゅう」

こちらもごくごく薄皮。私が見慣れ、食べなれている
薄皮饅頭の薄皮とは比較にならない薄さ。
山田屋さんのよりは厚く、その分いわゆる
「まんじゅう」らしさを感じる。

とはいえ、皮というよりは中身の餡を味わう分量の方が
はるかに多い。

「“あずき”からできている“あんこ”をこした“あん”なのよ」

との主張を感じるような、「あんこ」感を十二分に感じさせてくれる。
水分をしっかりと含んで、ほどよいねっとり感が
味を口中に広げてくれる。食後感はそれほど重たさを感じずに
食べられたのがうれしい。

大手まんぢゅうの特徴はなんといっても生地だろう。
このまんぢゅうには「備前名物」との肩書が
添えられているが、備前岡山は古くから米処と
いわれている地域。

参勤交替の行われていた頃には、その時期になると
備前藩の荷担役(にないやく、今でいう運送屋さん)が
唄っていたといわれる有名な「米のなる木」という
道中唄が岡山にはあるようだ。

その生地は、小麦粉に甘酒を混ぜて発酵させて
作るようだが、その甘酒のもととなる糀からが手作りで、
しかもその糀の原料が備前米なのだという
伊部屋さん公式HPより)。

小麦粉の皮なのだから、当然白い。が、まるで
窯から出てくるまでその姿がわからない焼き物のように、
蒸し上がった時に初めて顔を見せるのであろう
芸術品のようなあずき色と白色の薄皮のコントラストは絶妙。

あずき色の部分に至っては、ミリの単位をはるかに
下回る薄さの皮だからこそあずき色なわけで、
その薄さの皮にそれほどの丹念さを込めている
という辺りにカッコよさを感じてしまう私は、
味もさることながら、そこに心奪われてしまった。

銀座では三越にて購入可能。

 

さて。

今回「こしあんまんじゅう決戦」は、その対決
(なんてそもそもなかったが)よりも、
「こしあん」についての見解が深まった機会となった。

実は、こしあんではなく「つぶあん派」の私は、
こしあんをいただく機会はこれまでほとんどなかった。
どことなくこしあんに対して”物足りなさ”のような
なにかを感じていたから。

しかし今回の山田屋さんと伊部屋さんのこしあんまんじゅう
(まんぢゅう)は、タイミングよく食べ比べられたこともあり、
こしあんの深さを知ったような。というのは、
「物足りない」との解釈に対しての自分自身の見方の変化に
気付く機会でもあったのだ。

それを、大人になったと表現すべきなのか、歳をとったと
表現すべきなのか選択に迷うところではあるが、
いずれにしても、若かりし頃には気にも留めなかった

「上品さ」

というワードが、今の私にはいい意味で引っかかるようになり、
そういうアンテナが育ってきたような。
という意味では、歳をとっ……いやいや、大人になったということ
ではないなか(と信じたい)。

 

山田屋さんのまんじゅう。

伊部屋さんのまんぢゅう。

今回も大変おいしくいただきました。
ごちそうさまでした。

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