お知らせ

博士、モノ申す!<後半>
本では読めない本の話

博士、モノ申す!<後半>

2017-09-08

みなさま、こんにちは。
本日もありがとうございます、ワキノコビトでございます。

今朝はワタクシ、携帯電話に加え、定期券まで忘れて出勤する
という大ハプニングから始まる一日でした。


おーい、スマホ忘れてるよ~!

今思えばそれは、目まぐるしい一日を送ることになる
という予兆だったのかもしれません。
珍しく(笑)脳がフル回転した一日でした。

さて昨日のブログからの続きです。
客観視に関する博士オリジナルデータからの引用、の前に、
こちらの意見をご紹介させてください。

「自分の感情を掴んだ時に
『かなり、怒ってるな』とか『そうだね、ガッカリしたんだね』
と自分の外からの目線、もう一人の目線を持つ。

あとは、訓練がいると思うんですが
『神の目線に立つ』なんてことも、できるんでしょうね。

何かに固執したり、縛られてがんじがらめになってる時には
言うは易し、行うは難し、で自分の感情から引き離すのは
難しいんですがね。

これが出来たら、ほぼ感情に囚われて振り回されることは
なくなるよね。」

博士が東のご意見番とすると、西のご意見番・・・というわけ
ではありませんが、常に「母艦」のようにどっしり構えていて
くれてる「まざーしっぷ」(命名コビト)も、このような声を
届けてくれました。


ボク、なんだかさびしいだワンね・・・

それでは!博士の客観視に関するオリジナルデータを
ご紹介いたします。

「人間は、他者を観察することにより、
他者が『何を考えているか』、つまり『他者の気持ち』を
知覚することができるようになった。

この『他者の気持ち』を知覚することができるように
なった能力を、自分を観察し、自分の気持ちを知覚する
能力に転用できたことにより、

つまり、真似することができたことにより、
自分の気持ち、つまり『こころ』があることに気づく
ようになった。

他人の眼差しを内面化できるようになったのである。」

アナウンサーの表現が客観的に聞こえたのは、
目の前にある事象や現象をニュースとして知らしめて
いるので、当然のことだったのですね。

客観視は、主観的に感じられる何かがあって、
それをあたかも他者が感じているように、自らが
俯瞰した位置に立って自分を観察することで
得られる、もう一つからの視点。

その視点のずらし方があってこそ、のものなのですね。

日々是学び。
また一つ気付きが増えた、コビトでありました。

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