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「あわい」と「卍(まんじ)」
本では読めない本の話

「あわい」と「卍(まんじ)」

2017-11-03

みなさま、こんにちは。
本日もありがとうございます、ワキノコビトでございます。

先ほど、下書きを書いたと思っていたものが、
どこを探してもないのです・・・

と書いて、もう一度見てみたら、
なんと、ありました!

こんなことってあるのでしょうか??
ただ見逃していた、だけかもしれませんけどね(^_^;)


神隠し⁈なんて・・・

「大和言葉」というものが、最近、見直されています。
JK用語(女子高生用語、ですね)が一時期もてはやされ、
もちろん、今なおしっかりと健在ではあり、

「マジ卍(まんじ)?!」
などという言葉も流行っていますね。

ちなみにこの「卍(まんじ)」。
それ自体にはハッキリとした意味はないようで、
それでいて、共通理解をしているかのように
若物たちが使っています。

私にはそれが、ある意味では日本語らしい、
といいますか、
広い範囲での解釈をすれば、
音や響きを大事にする
大和言葉に似ていなくもないなぁ、
などと感じたりもします。

今回、情報誌WAKIを発刊するにあたり、
「あわい」
という言葉が、社内で久しぶりに登場いたしました。

ヘブライ研究所三部書のころにはすでに登場したこの言葉。

「あわい」

みなさんも、ぜひ、
目で読んだこの言葉を声に出してみて、
そしてその音の響きを感じられてみてください。

「あわい」

その響きの先には、
なんとも奥ゆきのある景色が拡がりゆくように
感じられませんでしょうか。

情報誌では「際」を、そして日を改めてご紹介いたしますが、
井坂健一郎先生は「間」を「あわい」の意味の一つとして
あげておりますが、

「あわい」
というこの三文字の音にの中秘められている、
はるかなる悠久のかなたからをも、何かを感じるような、
何とも表現しがたい、しかし、そこには確かにあると
感じられる、空間のような時間のようなものが・・・

まさに
「あわい」
なのだ、としかいいようのない、
この3文字があらわす独特の情景、情感、
それらがあるのだ、と感じるのです。

すてきだなと思うのは、
私が「あわい」の響きから感じている何かと、
みなさんが感じ取られた「あわい」によるそれとは、
全くの同一のものではないであろう、
ということです。

私が感じているこの感覚を色で表そうとすると、
ハッキリとした色ではなく、水彩絵の具の、
水の量が多めの、パステル調というよりは
少し暗めの・・・

むむ、色が出てきませんね(笑)

それが私の抱く「あわい」のイメージですが、
もしかしたら、パステルに近い色を
イメージされた方もいらっしゃるでしょうし、
油絵でイメージされた方も
おられるかもしれません。

表出したイメージが一致するかどうかは
あまり重要ではなくて、
それを感じた時の感覚。

「あわい」
という言葉から何かを感じた。
その感じた何かが
「あわいである」と認識するものである、
というところ。

それをモノとして生み出してしまうと、
十人十色、それぞれの「あわい」の色が
出来上がり、それはまるで違うものなのに、
「あわい」
という響きから感じた何かは、
まるで同じなにかを見ているかのような
「そうだよね、そうだよね。」
という、合点感のようなものがある。

それは日本語の持つ美しさ、のみならず、
言葉の音の元にあるもののエネルギーと
いうのでしょうか。

そういうものが、
一つの単語や、一つひとつの音にさえも
包括されている。

言葉や音、さらには
その元となる意識というものには、
見えない部分で共有して感じられる何かが
あるように思うのです。

若者たちが、正体不明の何かを、
「やっぱ卍だよねー」
「卍卍(笑)」
などといいながら笑いあえているのは、
彼らも日本語を母語として話しているから、
ではないかな、などとも思ったりするのです。

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