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「令和」と「王義之」をつないだもの
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「令和」と「王義之」をつないだもの

「なんとなく」がもたらすもの

令和となって10日が過ぎました。心なしか「平成」が少し遠いことのように感じるような気がしています。

さて、みなさんにもご経験はあることと思いますが、あるとき何となく目にしたものや耳にしたこと。それが後になって、何かと何かを結び付ける大きなヒントや要素になったりすることはありませんか?

生活に役立つことだったり、特になんの役にも立たないことだったりすることもあるのですが、自分だけにわかる「ピンとくる」感覚がして、「クスッ」としてしまうことはあることかと思います。

とある日。少し時間に余裕があったので、普段通らない経路で帰りました。その時に、地下鉄の改札を入ったところで見つけた大きな看板。


特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」。東京国立博物館。2019年1月16日(水) ~2月24日(日)

「ん~、気になる」

と私の心がかすかに叫んだような(矛盾の表現ですね(^-^;))気がしました。

しかし、頭で考えるとさほど興味があるとは思えないのです。
書をやっているわけでもない。書を見ることに興味があるわけでもない。

しいていえば、タイミング的に仕事で必要な要素だったことは間違いがなく、それで興味がわいたのかもしれないなとは思いました。

理由はさておき、「顔真卿」展に行くことにしました。


入るまでに1時間以上もかかった超長蛇の列。
今回の目玉である顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」(台北・國立故宮博物院所蔵)は、中国でも非常に特別な書とされている。台湾の法規により「国宝」と定められており、展示はあまり行われず、最後に展示されたのは10年以上前だという。中国の方もとても多かった。

さて、この展覧会のタイトル。
「顔真卿 王羲之を超えた名筆」
とあります。

書に詳しくない私ですから、顔真卿だけでなく、王義之もお恥ずかしながら存じ上げませんでした。展覧会を経て、初めて知り、覚えた方々です。

顔真卿と王羲之が!

そのお二人の名前が!
あるとき私の日常の中で登場したのです。

一人目は顔真卿。

以前、わき道でお世話になった日本筆跡診断士協会会長であり、相藝会 書道教育学院学院長も務められる森岡恒舟先生と、打合せをしていた時、顔真卿展に行ったことをお伝えしました。すると、先生は当然のように、

「この本に私、顔真卿の文字のことは書きましたよ」

えっ?えっ??先生、顔真卿の書を診断されていたんですか???

森岡先生、すでに顔真卿の文字を例にとられ、書籍の中に分析結果を記されていました。
この本も、いずれみなさんにもお披露目できたらなぁと思っておりますが、それにしてもなんという偶然!

二人目は王義之です。

前置きが長くなってしまいましたが、やっとブログのタイトルまで戻ってきました(笑)
もう一度、ブログタイトルを思い出してください。

ブログタイトル:「令和」と「王義之」をつないだもの

ちょっと突飛なタイトルですよね。

10日前の、2019年5月から始まった新元号「令和」が、どうしたら4世紀の時代に生きていた「王義之」とつながるのか?
私も聞いたときには一瞬、自分の耳を疑いました。

梅花の宴の〝蘭〟はね……

それはちょうどわき道【万葉集への誘い】開催前日。私は主催者から、当日に向けての話しを聞いていました。

ちなみに今回の万葉集への誘いでは、すでにご案内したように、「梅花の宴」が題材。「令和」という新元号が、この梅花の宴序文からとられたものだというのはみなさんご承知の通りですが、その内容について解説してもらっていた時でした。

「梅花の宴の序の中に〝蘭〟の文字があるの。実際の花のことというよりは、〝香りのよい花をイメージ〟ということの描写らしいんだけれどね。実は梅花の宴は王義之の〝ランテイジョ〟が踏まえられていると、昔から言われているようなの」

ラン?ランテイジョってナニ? というよりいま、〝王義之〟って言いました??

「蘭亭序っていうのは、王義之の書のうち、自身が最高傑作だとしている書。実は酔っぱらった時に書いたらしく、後に何度も清書をしようと試みたけれど、それを超す書はなかったということらしいの」

蘭亭序は唐の皇帝、太宗が酷愛した書で、蘭亭序を愛するあまり、死に臨んで自らの陵墓である昭陵に副葬させたほどなのだとか。

それよりも!王義之の蘭亭序のことが、なぜ梅花の宴の序に??

「万葉集を勉強している方によると、梅花の宴の序は、蘭亭序によく似た箇所があるのだと」

そう言いながらたとえば、といって教えてくれたのが、

◎はじまりの箇所の比較(蘭は蘭亭序、梅は梅花の宴)

蘭「永和九年、歳は癸丑に在り。暮春の初め、會稽山陰の蘭亭に會す」
梅「天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃まりて、宴会を申く」

◎途中の一節の比較

蘭「是の日や、天朗らかに氣淸く、惠風は和暢せり」
梅「時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ」

◎おわりの箇所の比較

蘭「故に時人を列叙し、其の述ぶる所を録す。世殊に事異なると雖も、懷ひを興す所以は、其の致は一なり。後の攬る者も亦た、將に斯の文を感ずるところ有らんとす」

梅「淡然と自ら放にし、快然と自ら足る。若し翰苑にあらずは、何を以ちてか情を述べむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊かに短詠を成すべし」
(万葉集を読むhttp://flac.aki.gs/Manyou/?p=3227より)

おお~、なるほど~!
といえるほど万葉集や古文をすんなり理解できる頭の持ち主でない私は、比較して納得することは残念ながらむずかしかったのですが、そうであると仮定した場合!

蘭亭序が存在していたから、いまのような梅花の宴の内容になった。

のかもしれない。
と思うと、真偽のほどは別にしても、それまで全く交わることのなかった「令和」と「王義之」の間に、少なくとも私の中ではつながりができたのです。

「なんとなく」が私にもたらしたもの

もしも……
もしも王義之が酔っぱらわなかったら……
もしも王義之が泥酔しすぎて書を書けなかったら……
もしも「蘭亭序」が無かったら、それを参照してできた(かもしれない)梅花の宴も無かったかも……
とすると、2019年5月からの新元号はいったいどうなっていたのか……

新たな〝回路〟が誕生した私の頭の中では、勝手な妄想が次々と浮かび、「令和」に変わった今だからこそより一層、

「もしかしたらもしかすると、もしかしたかも……( ̄▽ ̄)」

などと、一人遊びがますます進むのでした。

「なんとなく」私に飛び込んできてくれた「顔真卿」の書の看板から半年の間に関連することがいくつも起こり、それはなににどう影響したのかはわからないけれども、それでも私の中では確実に何かが大きく豊かになっているのでした。

みなさんも「なんとなく」気になったら、今日のわき道【万葉集への誘い】に〝いざなわれて〟みてはいかがでしょうか。
もしかしたら、思いもよらない発見が、今後に生まれてくるかもしれません。

数名ですが、空席があります。
ご希望の方は、お電話でご確認をお願いいたします。
和器出版:03-5213-4766

わき道【万葉集への誘い】

日時:5月10日13時半~16時半
参加費:2500円(和菓子代込み)
定員:12名
会場:銀座SEVEN

イベント内容の詳細については、下記をご覧ください。
http://wakishp.com/archives/4184

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