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今の自分がすべてを創り出している

今の自分がすべてを創り出している

2017-05-19
みなさま、こんにちは。
ワキノコビトでございます。
ワキノコビトとは…)

昨日の、予報よりかなり早い雨。
みなさまも、濡れずにおられましたでしたでしょうか。

私は濡れはしなかったのですが、予報のそのままに、洗濯物を外に干し、
更にはまさかの…
お布団までもが…

……(T_T)……。

さっ、気持ちを切り替えまして、本日のブログに入りましょう。
昨日お話しました、「MOST コビってる」についてお話いたします。


複合機(コピー機)の画面部分


その右側部分の画像

いきなりの画像ですが、この複合機(コピー機)のボタン、今日のキーマンです。
どうぞ、頭の隅に置いておいてくださいませ♪

さてつい先日のこと、資料の大量コピーならぬ大量PDF化を仰せつかり、
複合機としばし二人きりの濃厚な時間を過ごしました。

コピーやPDFなんて、「ピッ」とボタン一つで終わるじゃない。
と思われる方も多くいらっしゃるハズ。

そうなのです。
私はボタンを押すだけで、複雑・高速処理は複合機がしてくれます。

ただ今回は、それはそれは膨大な量だったのです。
その数、約300枚。

それに加えて難儀したのは、今回は一回一回、コピー機のカバーを開けては
資料を置いて、ボタンを押してはカバーを開けて、そしてまた…

という作業あっての約300回、だったのです。

…(T_T)…(本日2度目)

始めてしばらくは余裕もあり、色々と工夫しながら作業をしていました。
「なるべくキレイな仕上がりのものにしよう」とか、
「効率的に進めることはできないだろうか」とか。

しかし。本日のお相手は、約300枚。

正直私、軽く見ていました。

いえ、すぐには終わらない、そこそこ時間がかかる、かなりタイヘン、
ということは、想像してはいました。

が、現実は厳しかった…
本当に終わらないのです。
なかなかなかなか、終わらない(笑)

残りのページ数などありぎて怖くて調べられないほど、その資料の分厚さが、
なかなか薄くならないのです。

徐々に、腕は重ダルくなってくる、足はしびれてくる…
そうなってくると、工夫する余裕などありません。
ひたすら無機質に、同じ動作をひたすら繰り返すのみです。

早く終わらせたいのですが、その気持ちすら起こす余裕もなく、ただただ一心不乱に
カバーを開けては資料を入れて、ボタンを押して、を繰り返していました。

そんな中、ふと恐ろしい光景が目に入ってきたのです。
それが、冒頭の写真です。


その時は、恐るべしお相手でした…

よ~く見てくださいね。

それまでも毎日のように眺め、押していたこの画面。
それなのに私はその時、初めて発見したのです。

ボタンの配置関係に。

「スタート」の上下に「クリア」「ストップ」のボタンが、空間があるものの、
なんと、お隣さんにあるではありませか!!

それに気づいてしまった時の衝撃ったら、ありませんでした。もし仮に手が滑って、
どちらかのボタンを誤って押してしまったら、それまでの苦労がまさに水の泡…

そう思ったら、急にスタートボタンを押すその手が、緊張し始めました。

早く終わらせたい気持ちなど瞬く間にどこかに消え失せ、クリア・ストップボタンを
押さないよう最新の注意を払うこと、それが目下最大の注力ポイントとなったのです。

それからは、それはそれはドキドキの連続でした。

なんとか一つのPDFデータにまとめたかったので、ここまで一気に仕上げてきたのですが、
「出来たものまで先にデータ化してしまおうか」との安全策を採ろうかと何度も迷いました。

データが二つになっても、誰も文句を言う人などおらず、一人勝手に窮地に追い込んで
いることは百も承知なのですが、なぜかその時はそれに拘っていたのです(笑)

そのドキドキのまま進んでいる中で、ハッと気づいたことがありました。それは、

「今の自分がすべてを創りだしている」。

たとえばこの画像。


本日3度目の登場

その3つのボタンを認識してはいましたが、それらの位置の関係性については、
全く無関心でした。
ですから私の世界には、その点については存在していなかったのです。

大量のPDF化をすることで、そのボタンの位置関係に対して私の中で脅威や恐怖が生まれ、
そうして初めてそのボタンたちと私の関係性が生まれ、その新しい世界が私に創造された。

たかがボタン、されどボタン。であります。

ところが今日そのボタンたちを見ても、そのような怖れの気持ちは、当然ですがありません。

「今」の「私」が創造をする。
そのことを学ぶための「MOST コビってる」でした。

長くなり恐縮ですが、言霊百神からの言葉で示させていただきます。
今日もお読みくださり、ありがとうございました。

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ピアノは鳴っていないし、虹には色が無い。ピアノ自体はただ無音に振動して
いるだけで、ピンともポンとも鳴ってはいない。その振動が聴覚と云う知性の
振動とシンクロナイズする時、初めてピアノの音色が現われるのである。
虹はただ無色の光波を発散しているだけである。その振動が視覚とシンクロ
ナイズする時、初めて七色(八色)の綾が現われる。(中略)森羅万象は
自覚と無自覚に拘らず、実は人間が刹那刹那に創造しつつあるものである。
(「父韻の所在」の項より)

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