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「階段のぼり」で自分探求?!<後編>
本では読めない本の話

「階段のぼり」で自分探求?!<後編>

2017-05-31

みなさま、こんにちは。
本日もありがとうございます、ワキノコビトでございます。

昨日、エレベーターが使えないことを書いたからでしょうか。
やっと、使えるようになりましたー!


エレベータに感謝!!

日ごろ当たり前に使わせてもらっているものが、突然使えなくなると、
いかに日常を普通に過ごせることが奇跡の連続であるか、ということを
感じずにはいられません。

さて、昨日からの続きです。
階段のぼりが「なぜ」自分探求になるのか。本日、そのナゾ(?)が解けます。


井坂健一郎先生による アートプロジェクトⅡ (JR内野駅2009年9月)

面白かったのが、その翌日のこと。
前日の学習内容をすっかり忘れていて、全くその意識をせずに、一生懸命に
「階段をのぼった」のです。

結果・・・

と~~~っても疲れました(笑)。

そうしてハァーと、出てきた疲れをため息まじりに感じた時にハッと思ったことが、
「・・・自分・・・」
ということでした。

その「自分」とは、いわゆる「我」の入った自分、という感じのものです。

重苦しい、何かがへばりついたような、囚われているような、
がんばっている「自分」です。

同じ私が、同じ段数の階段をのぼっているのに、その時の意識の持ち方で、
体感が全く違ってくる。

同じ私なのに、意識の持ち方を変えるだけで、全く違う現実を創造している。

そのことが、一度「軽くなる」体感を得て、そして「重くなる」体感を味わったことで、
より深く理解できたような気がしたのです。

和器には、身体をつかうことについて造詣が深いスタッフがおります。

この階段のぼりの一連の流れが、私の中でとても面白く興味深かったので、
少しまとめて報告をしました。

その時に、こんなことを伝えてもらったのです。

『いただいたリポートには、いろいろなことが含まれていますが、究極的にひとつに
縮めてしまえば、

「いま自分が自分と思っている自分とはどのような存在なのか」
という問いになるかもしれませんね。

甲野陽紀さん(最初は父上の甲野善紀先生との出会いでしたが)と出会って
私がおもしろいなあと感じたのは実はそのことで、その思いはずっと続いています。

コビトさんの階段のぼりの探求は、自分とは何かの探求でもあるわけです(笑)』

階段のぼりで、自分とは何か?の探求。

自分探しの旅に出かけたくなったら、このお手軽な方法もぜひ一緒に試してみては
いかがでしょうか(*^_^*)

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